NikonD800とOM-D5と |
少し昔話をしましょう。1999年9月。ニコンはD1を発売します。それまでのデジタルカメラは、一眼レフタイプの高価な機種と、コンパクトデジカメタイプの民生用に二分されていました。そこに登場したD1は、高価ではありましたが従来よりは安くなり、アマチュアカメラマンも高画質を手軽に使用できるようにした、画期的な機種でした。
ほぼ時を同じくして、1999年10月。ミノルタはRD-3000を発売します。こちらもそれまでのデジカメを考えればけして悪いものではありませんでしたが、D1と比較できるようなものではなく、D1の前に惨敗を喫してしまうことになります。ここで大きく躓いたミノルタのデジカメは開発が遅れることとなり、やがてはカメラ事業からの撤退へとつながってゆく最初の出来事であったのかと思っています。
そして、1999年のカメラグランプリは、ミノルタのフイルムカメラ、α9が受賞します。ノーベル平和賞ではありませんが、大変に政治的な受賞でした。選考委員の先生方は、フイルムカメラがんばれ、ミノルタがんばれとのメッセージを込めて選考されたものです。本来であれば、文句なくNikonD1であったはずですが、D1は特別賞にとどめられ、フイルムカメラへの愛着がカメラグランプリに込められたのだと思います。
RD-3000で惨敗を喫したミノルタに、α9にグランプリを贈るという間違ったメッセージを伝えることになり、ミノルタはデジタルカメラの開発から大きく後退してしまいます。このときもし、グランプリをD1にあたえ、α9には今更フイルムじゃないだろうというメッセージを送っていたなら、ミノルタはデジタルに全力を注ぎ、ひょっとしたら、後にカメラから撤退するという事態にはならなかったかもしれません。変わらなかったかもしれませんが。
1973年。M-1、のちに商標権の関係からOM-1と改名するカメラで登場したOMシリーズ。それ以前にM42マウントの機種を1つ出していましたが、このOMマウントを採用した機種の登場により、オリンパス一眼レフは黄金期を迎えることとなります。しかし世の中はAFの時代となります。FマウントのままAF化したニコン。K-AFマウントと互換性を維持したペンタックス。α、EFとマウントを変更したミノルタ、キヤノン。これらのメーカーはAF化の時代を生き延びましたが、オリンパスはOMマウントを変更してOM-707というAFマウントの機種を出して、大失敗し、一眼レフからの撤退へと追い込まれてゆきます。マウントを変更したメーカーも、互換性を持たせたメーカーも成功して生き延びている訳ですから、失敗の原因はマウントではないことがわかります。すなわち、OM-707のフルオート思想が、ユーザーに受け入れられなかった。カメラの失敗であってマウント規格の問題ではないことがわかる訳です。時代に遅れたMFのOMシリーズは、OM-4Tiなどで繋ぎながら、最後は1994年のOM-3Tiで終演となります。ほぼ意味のない機種、単に「OMは終わっていない(ユーザーを捨ててはいない)」と言いたいが為だけの機種として存在したと言って良いでしょう。オリンパスは一眼レフから撤退します。
しかし、これが後に幸いすることとなります。一眼レフから撤退していたオリンパスは、何のためらいもなくデジタルへの道を進むことが出来ました。96年8月のC-400から始まり、97年9月のC-1400Lや99年4月のC-2000zoom、2000年10月のE-10などへと続いて、初期のデジタルカメラをリードし続けられたのは、一眼レフの失敗が幸いしていたものだと思っています。
何と、同じ運命が再びオリンパスに訪れます。2003年10月のE-1に始まった新しいマウント、フォーサーズ。鼻息高く始まったフォーサーズですが、再び失敗への道を歩むこととなります。ひょっとすると、それはOM-707の失敗の裏返しだったのかもしれません。フルオート化で失敗した反省からなのか、きわめて高画質であり、ある意味趣味性を超えて高画質を追求したと言って良いかもしれません、オリンパスはスーパーハイグレードと呼ばれる超高画質で、しかしその代わりに巨大で重たく、値段も高いレンズ群を作り続けます。すばらしいレンズではありましたが、4/3サイズというそのとき主流であったAPS-Cよりさらに小さな撮像素子を採用し、従って小型軽量がメリットとして考えられていたにも関わらず、逆をゆくレンズ開発やボディを作り続けました。望遠にメリットのあるフォーサーズなのに広角レンズの拡充に努め続け、「APS-Cに対してデメリットがない」と訴え続けた結末は、もう最初から見えていたと言っても良いでしょう。
ところが、ここで再び奇跡が起きます。フォーサーズから徹底する、もう最後だと言うことになってやけくそで出したカメラが大ヒットすることとなります。OLMPUS Pen E-P1です。小型軽量を求めつつも、えーい最後だと金属をふんだんに使い、やや重たくなりましたが趣味性の高いボディを作り上げます。のちにE-PL1などで採用されたホットシューの拡張部分も装備されておらず、見切り発車であったことも見受けられます。しかしながら、それまでのデジタルカメラと一線を画し、高級感のあるクラシカルな作りが評価されて、値段は高めでしたが予想外のヒットをすることとなります。
フォーサーズの失敗。やけくそのPen。それがミラーレスへの切り替えに成功する要因となったと言っても良いでしょう。
ニコンもミラーレス機種の大ヒットを受けて、ミラーレス機種を発売します。Nikon1です。すでにミラーレス機の一眼レフに占めるシェアは45%近くなっていると言われ、オリンパスとパナソニックを合計したm4/3マウントの数で言えば、FやEFマウントに並ぶほどと言われています。今まで一眼レフを敬遠してきた女性ユーザーには、小型軽量のミラーレス機が好感を持って受け入れられています。高齢化社会の中、既存のカメラユーザーも次第に重たいカメラを敬遠する傾向は、間違いなく増えてゆくでしょう。その流れに乗り遅れまいとするニコンがNikon1を開発したことは、正しい選択であると考えています。しかしながら、出来たものが悪かった。魅力のないボディ、レンズ、センスの悪さ、バグ。マウントそのものが悪い訳ではありませんから、将来的には魅力的なボディとレンズで大きなシェアを獲得する可能性もありますが、現在のNikon1について言えば、まあ、ひどいものです。発売して半年もたちませんが、すでに価格は半値以下に下がってきており、いかに売れていないのかが伺われます。
大失敗したNikon1に対し、今年発表されたD800は好感を持って受け入れられています。Nikon1の1型撮像素子に対し、その対極と言っても良い35mmフイルムサイズの撮像素子を採用した、重たくでかい一眼レフ。36Mという画素数増加を追求したカメラです。前機種であるD700から時間がたっていることもあり、買いたいという話も聞きます。
でも、ここで冒頭の話を思い出してください。RD-3000で失敗したミノルタに、α9のカメラグランプリが何をもたらしたのか。
Nikon1で躓いたニコンに、D800がもし成功して売れるとするならば、それはニコンに対してどのようなメッセージを伝えることになってしまうのか。
ミラーレス化への足を引っ張ることにつながりはしないのか。D800が売れれば売れるほど、ニコンの未来に影をもたらしてしまうかもしれません。
当たるも八卦当たらぬも八卦。そのレベルの話です。
長話におつきあいいただき、ありがとうございました(笑)
Nikon1のみならず、ミラーレス機種は値下がり率が大きいものです。しかしその中でも、オリンパスのトップ機種は値下がりが小さい傾向にあります。次の機種が出れば当然下がりますが、また低価格機は値下がりしていますが、E-P3などのトップ機はなかなか下がりません。過去の値段の推移から伺うと、OM-Dの値下がり率は少なそうです。しばらく待てば下がる、としても、比較的下落率が小さいため、早く買って早く使えるメリットを考えると、納得できる程度ではないかと予想しています。
OM-D5,買いたいと思います。