イムジン河 |
NHK BSで、フォークソング大全集(再放送かな)という番組をみた。フォークソング、今の高校生たちにとっては聞いたこともない音楽かもしれないが、1970年代前半に高校生だった私には、懐かしい、青春の音楽たちなのだ。その中で、心にとまったのがイムジン河である。
2009年に亡くなられた加藤和彦さんを偲んで、ザ・フォーク・クルセダーズの「イムジン河」が番組中で歌われたのだが、懐かしいと同時に、複雑な思いがわいてきた。
この曲は、1968年にザ・フォーク・クルセダーズによって日本語の歌詞バージョンが歌われ、その後発売禁止にもなった。時は70年安保の前、学生運動の全盛期だ。私の高校は左傾化していたので(こんな言葉も死語かな)、様々なところでイムジン河が歌われていた。当時は、反米の象徴であり、正しい北(朝鮮)と軍事政権下の南を歌った歌だ、人民の歌だと思われていた。
Wikipediaに書いてあってもそれは真実だとは限らない。あくまでも書いた人の主観と知識によるもので、他の意見もあるだろう。丸呑みにしてはいけないものではあるが、この場合は40年以上前の話なので、今の思惑に左右されない、比較的正しい歴史認識に基づいた記述と考えられるだろう。
それを読むと、イムジン河という楽曲、作られた経緯も、発売禁止になった理由も、当時の幼き高校生の理解とはだいぶかけ離れていたようだ。そもそも禁止ではなく自粛だったようだ。
Wikipediaによれば
「この曲はもともと北朝鮮では有名な曲で、松山やメンバーらの考えていたような民謡ではなく、高宗漢の作曲、朴世永の作詞によるプロパガンダ音楽であった。オリジナルの曲では、主人公は臨津江を渡って南に飛んでいく鳥を見ながら、1番では臨津江の流れに対し、なぜ南の故郷へ帰れないのかを嘆き、2番では臨津江の流れに対し、荒れ果てた「南」の地へ花の咲く「北」の様子を伝えてほしいと、北が優れていることを誇示する内容である。松山の歌詞では、北の幸せさに対し南を哀れむもともとの2番の歌詞は、分断に対する疑問を訴える歌詞に変わっており、まったく異なる物となっている。さらに松山の歌詞には、オリジナルにはない3番がある。」
とある。
詰まるところは、当時の私たちが勝手に誤解していたのと同様に、作詞の松山猛、加藤和彦なども、勝手に誤解して作っていたもののようにも思われる。
番組中で歌った歌手の皆さんも、おそらくは当時、同じように勝手に誤解していたものなのだろう。そして今これを歌うとき、何を思うのだろう。もはや政治とは無関係な、加藤和彦さんを偲ぶ曲に昇華されているのだろうか。
それはそれで良いと思うが、当時の思いが「勝手な誤解であった」と言うことも、忘れてはならないことだろう。