2011年 12月 31日
ピュリツァー賞1942-1961 |
先日購入したナショジオのピュリツァー賞全記録から、1942-61について感想など。
この時代は大判カメラの時代として、主に4x5スピードグラフィックスカメラを使用した作品が掲載されています。これは作品解説ではなく、私の感想文です。
第二次世界大戦から朝鮮戦争をへて冷戦に向かう時代です。硫黄島の星条旗など有名写真もありますが、まず気を引かれたのは1947年の「ワインコフ・ホテルの火災」アーノルド・ハーディーです。ホテル火災で、窓から飛び降りる女性を写した写真ですが、アマチュアカメラマンが撮影したものでした。ピュリツァー賞がアマチュアにも与えられていたとは、はじめて知りました。当初のピュリツァー賞は「報道写真コンテスト」のようなものだったようで、アマチュアが受賞することもあったのですね。その後1954年にも橋からぶら下がって転落寸前のトラックを写した「トラック運転手の救出」で女性アマチュア写真家のバージニア・ショーが受賞しています。
少し戻って1952年、当時きわめて少なかった黒人のアメリカンフットボールプレーヤーが、ボールと関係ないところでタックルされて殴られるという事件を写した「タックルされるジョニー・ブライト」ドン・アルタング&ジョン・ロビンソンが撮影した写真。当時としては最先端の連続写真と望遠レンズを使った写真です。当時としては画期的なアップ(望遠)写真だったのでしょうが、今の感覚でまるで足りていません。200mm相当位なのかな? わかりませんけれどもかなり広く写ってしまっています。そのおかげで、画面の隅にボールと関係ないところでタックルされて殴られるという事件が写りこんでいたわけです。撮影位置もグラウンドレベルではなく観客席の上から写しているようです。今のように300mmや400mmを使ってグラウンドの横から写していたら絶対に写らなかった写真です。
1961年、スピードグラフィックスカメラでの最後の受賞となったのが、「舞台上での暗殺」長尾靖です。社会党委員長の浅沼稲次郎が日本刀を持った学生に刺し殺された事件を写したものですが、私が気になったのは写真そのものではなく解説文。「観客席の最前列には右翼の全学連の学生達か陣取って」とあります。全学連と言えば左翼と思っていたので、不思議に思った次第。ちょっと調べても、浅沼暗殺が全学連の犯罪とはされていないようですので、著者であるハル・ビュエルの間違いをそのまま訳してしまったものかと思われます。アメリカ以外に対する認識や誤解、ピュリツァー賞そのものがアメリカの賞であることの、象徴的な誤解のような気がします。
つづく
by abikoflower
| 2011-12-31 16:01
| 雑感

