2012年 01月 01日
ピュリツァー賞1962-1969 |
先日購入したナショジオのピュリツァー賞全記録から、1962-69について感想など。
4x5スピードグラフィックスカメラから35mmを中心とした小型カメラへの時代。ベトナム戦争と、アメリカの公民権運動などの写真が並びます。これは作品解説ではなく、私の感想文です。
小型カメラでの報道、となればライカの時代かと思いきや、何とニコンが圧倒しています。ライカが2度に対してニコンは5度、受賞作品の中で使用されています。1959年にニコンFが発売されていますから、レンジファインダーのライカに対して一眼レフのニコンが使用されることが増えたのでしょう。
1966年、「爆撃からの逃走」沢田教一
アメリカ軍の爆撃から逃れるため、ベトナム人の母子が水の中を逃げてる場面を写した有名な写真です。命知らずのカメラマン沢田教一はアメリカ軍の先頭に立って地雷原に踏み込むなど、死に至るような撮影を続けました。1970年、カンボジアで車で走っているところを襲撃されて命を落とします。
1969年ニュース報道部門 「サイゴンでの処刑」エドワード・アダムス
南ベトナム軍の将校が路上で捕虜のベトコンを射殺する、これも大変有名な写真です。南ベトナム軍の残虐さの証拠として広く使用された写真です。撃ったのはグエン・ゴク・ロアン中佐。
射殺した後、彼はアダムスのところへ来てこう言った。「やつらは私の仲間を大勢殺した、あんたの仲間もだ」それだけ言って立ち去ったという。
中略
ロアンはその後准将に昇進するが、この写真に苦しめ続けられる。戦争の末期、アダムスとロアンは知り合いになる。ロアンは戦争後アメリカに渡りレストランを経営するが、失敗してしまう。アダムスがロアンのレストランを訪れると、トイレには「みんなおまえが誰だか知っているぞ」と言う落書きがあったという。
中略
「あの日二人の男が死んだ」とアダムス。「ベトコンとロアンだ。写真は誤解をまねこともある。すべてを語っていないこともある。ベトナム人の多くは心からロアンを敬愛していた。根っからの悪人ではなかった。彼のしたことが正しいという訳ではない。だが、彼は戦争の当事者として、かなり非道な連中と戦っていたんだ。私たちは、ベトコンが罪のない多くの市民にしたことを忘れがちだ。ロアンのレストランで見た落書きを思い出す。あそこにあれが書かれたのは、自分のせいだと思うよ」
写真は誤解をまねこともある。すべてを語っていないこともある。忘れてはいけないことだと思います。
つづく
by abikoflower
| 2012-01-01 16:39
| 雑感

