ピュリツァー賞1970-1980 |
先日購入したナショジオのピュリツァー賞全記録から、1970-80について感想など。
ピュリツァー賞に特集部門が新設され、ニュース記録から取材へと、カメラ報道が進化してゆく時代です。またカメラやレンズも進化し、多様性が広がってきました、これは作品解説ではなく、私の感想文です。
1970年の特集部門は、「季節労働者の移動」ダラス・キニーが受賞しています。南部から北部へ、作物の収穫期を追いかけ低賃金で移動しながら労働してゆく、アフリカ系黒人労働者たちを取材した作品。報道写真にも芸術性を求めた、特集部門らしい受賞作です。
1971年ニュース速報部門「キャンパスでの死」ジョン・ファイロ。ここではニコマートが使われています。
1974年の特集部門は「英雄の帰国」サル・ビーダーが受賞していますが、ここではニコンの「80~200mmのズームレンズ」が使用されています。これ以前にもズームを使用した作品があるのかもしれませんが、ズームレンズと明記されているのはこれがはじめてです。
1977年のニュース速報部門「バンコク路上の暴力」ニール・ウールピッチはニコマートを使用しています。
1978年のニュース速報部門「スポットライトの中で」ジョン・ブレアはペンタックスを使用しています。
1979年ニュース速報部門「小さな町の恐怖」トーマス・J・ケリー三世はフジカを使用しています。
それまでの限られた高級なカメラ機材から、この時代は多用な低価格カメラが普及し、より多くのカメラマンが誕生し、さらにニュース速報部門で多く使用されているように信頼の置ける機材として使われ始めたのだと言うことがわかります。またズームレンズが一般化しつつある時代であったこともわかります。
1973年ニュース速報部門「ナパーム弾から逃げる少女」ニック・ウットは、ナパーム弾の炎に焼かれて全裸で逃げてくる少女を写した、有名な写真です。この写真を写した後、ウットは焼けた少女の背中に水を掛けてやり、そのご病院へ搬送しています。この写真と少女は北ベトナム政府によってプロパガンダに使用され続けましたが、やがて彼女は留学中のキューバから亡命を申請し、カナダに移住します。そしてウットと再開して親交を深めてゆくことになります。これは、この後に受賞するある作品との、大きな対比となる作品でもあります。
つづく

