2012年 01月 04日
ピュリツァー賞1994-2002 |
先日購入したナショジオのピュリツァー賞全記録から、1994-2002について感想など。
第四期、カラー写真、デジタル化、女性写真家、アフリカの後半。
これは作品解説ではなく、私の感想文です。
1994年 特集部門「ハゲワシと少女」ケビン・カーター
1993年2月、カーターはスーダンを取材します。今もスーダンの紛争は続いているはずですが、当時は北部のイスラム教徒による南部弾圧が激しく、大規模な飢餓が発生していました。国連による援助もゲリラの妨害に遭いままならず、難民キャンプでの悲惨な状況はカーターらの写真によって広く世間に知れ渡るところとなりました。取材中、食糧配給所の近くの藪に入ると、すすり泣く子供の声。そこには餓死寸前の子供が砂埃の中にうずくまっていました。そのとき、死肉のにおいをかぎ取ったらしいハゲワシが近くに舞い降りてきます。カーターは位置を決め、子供と、死を待つハゲワシをファインダーにいれて数枚シャツターを切り、その後にハゲワシを追い払いました。
この写真は大変有名になり、1994年のピュリツァー賞を受賞しますが、賛美だけを受けた訳ではありませんでした。子供を助けることより写真を撮ることを優先するようなやつは、ハゲワシと同じだと激しい批判にもされされたのです。1994年6月、ピュリツァー賞の授賞式に参加したカーターは大変喜びましたが、悩みも大きく、同年7月28日、愛車の中でガス自殺を遂げることとなります。
1973年の受賞作、「ナパーム弾から逃げる少女」ニック・ウットとの比較を考えざるを得ません。どちらも大変有名な写真ですので、検索すればすぐごらんになれると思います。ニック・ウットは写真を撮ったのち少女を助けて、病院に運びます。その後も交流を続けてハッピーエンドとなりますが、ケビン・カーターはハゲワシを追い払うのみで有ったので激しい批判にさらされ、なやみ、自殺してしまうのです。これは一概に比較することは出来ません。この20年の間の人権意識の高まりはきわめて激しく、カーターも20年前に撮影していたら、それほどまでの批判は受けなかったでしょう。またウットは少女を助けることが可能であり、助けられるような状況でしたが、カーターは、仮に少女を配給所まで連れて行ったとしても、その命を助けられたかどうかは疑問です。
実際ピュリツアー賞は、「写真を撮るより助けろ」という出来事の集合体と言っても良いでしょう。ゲリラや暴徒に惨殺される場面では、止めれば自分が殺されてしまいますから致し方ないと言えますが、写真を撮ること以外に出来ることがある場面は多々出てきます。
答えを出すことは出来ません。
1997年 ニュース速報部門「救出」アニー・ウエルズ
ピュリツアー賞の中では希有な作品です。大雨による洪水の中、二人の少女が無謀にも川下りに挑戦します。当然のようにその試みは失敗し、二人は濁流に呑み込まれそうになります。一人は岸に近いところにいたためすぐに救出されましたが、もう一人は今にも流されてしまいそうです。それを決死の救助隊が助ける様を見事に、かつきれいに捉えています。またその少女が結構かわいい。この話のピュリツアー賞的特記事項は、無事に助け出されてハッピーエンドに終わったと言うことです。こういう写真で受賞できれば、最高です。
1999年 特集部門「クリントン大統領のスキャンダル」AP通信スタッフ
私にとってのこの事件は、全く別の意味を持っています。後に大統領の弾劾裁判が行われるかどうかと言うとき、民主党と共和党は激しく多数派工作を行っていました。なぜ多数派工作が必要だったのか? アメリカの議員は、党議などに拘束されることなく、各個人が正義に元図いて判断して自由に投票するからです。自分の意志で行動できない、能力が無くても、地盤看板ひっさげて世襲議員が横行する日本と何と違うことか。自分で是々非々の判断が出来なくて国会議員と言えるのか。日本民主主義のお粗末さの対角の出来事として、印象深い出来事でした。
ピュリツアー賞的には、ニコン・およびコダックのデジタルカメラで撮影された作品として、初受賞です。それまでもデジタル化はされていましたが、フイルムからスキャンしたもので、はじめからデジタルで撮影されたのはこの作品からです。
つづく
by abikoflower
| 2012-01-04 22:01
| 雑感

