3D写真の行方 |
見たとおりではなく、変化させるから表現であり、文化であり芸術になる。立体の現実世界。それを2Dに置き換えるとき、どう写したらよいのかという問題が発生し、そこに工夫があり、表現があり、芸術となりうる。色も同じですね。究極の無彩色、白黒写真などにアートを感じるのは、まさに見たままではないからです。
3D化を進めるメーカーたち。それを作ろうとしているのは芸術家でも写真家でもなく、経営者であり、技術者たちです。彼らは芸術を作ろうとしていないので、見たままの色、3Dが望ましいと考えているのかもしれません。しかし、現実世界のコピー機としての3Dカメラが普及したとき、それは芸術ではなくなります。すると、カメラマニアもいなくなってしまう。
私もそうですが、複数のカメラを所有している人、それも数十台であったり、なかには数百台のカメラを所有する人も、カメラ好きの中ではそう珍しくありません。すべて新品を購入しているわけではないにしても、「あなた、そんなにカメラばっかりあっても使い切れないでしょ」と怒られながら、また今年も何台か買いますよね>>あなた(笑)
しかし、コピー機のマニアって、ほとんど聞いたことがありません。大きさの問題もあるでしょうが、カメラがコピー機となり、実用機となったとき、マニアもいなくなり、複数台所有する人もいなくなり、壊れるまで使って買い換えるようになるでしょう。
趣味の道具である>>必要なくてもお金をつぎ込む
高級機、付加価値をつけて売ると言うことが難しくなるでしょう。いま、コピー機の世界でどうですか? アンティーク風のデザインを施した高級コピー機、なんてありますか? ないですよね。それは実用品だから。ブランドより価格。必用十分な性能。一番機能の高いものを買うのではなく、自分に必用な性能はどこまでなのかを考えて、その範囲でお買い得品を探すのではありませんか?
カメラもそうなりますよ。とりあえずフラッグシップを買う人などはいなくなり、自分に必用な性能は何かを考えるようになる。高いカメラは売れなくなり、台数も売れなくなる。そう言う方向性に進んでいるわけです。
誰でも簡単きれいに撮れる。
ほんとにそれで良いんですか。
がんばれ日本。でも、、、