NHKスペシャル 沢木耕太郎 推理ドキュメント |
運命の一枚 ~"戦場"写真 最大の謎に挑む~
昨日放送されたNHKスペシャルは、ロバート・キャパの「崩れ落ちる兵士」を取り上げたものでした。
http://www.nhk.or.jp/special/detail/2013/0203/
大変におもしろい番組であり、制作していただいた沢木耕太郎氏とNHKに感謝したいと思います。見逃された方、おそらくNHKオンデマンドで配信されるのではないかと思いますので、お金を払っても一見の価値はあるかなと思います。
その上でなのですが、私なりの見解、疑問点を提示しておきたいと思います。
まずは番組のあらすじを。
ロバート・キャパによって撮影された「崩れ落ちる兵士」は、スペイン内戦で、ナチスドイツによって支援された反乱軍に狙撃された共和国軍兵士の、撃たれ崩れ落ちる瞬間を写した傑作として、有名です。この写真は、のちにLIFE誌に掲載され、反ファシズムの象徴的作品として、多くのメディアに使われることになります。沢木氏は、スペインの大学教授によって特定された撮影場所にゆき、写真に写る山脈と、実際にその場所から写した山脈をCGを作成して比較し、間違いなくこの場所で撮影されたものであることを特定します。
「崩れ落ちる兵士」が最初に世の出たのは1936,9,23のことでした。しかしこの場所においては、9月23日以前に戦闘はなく、また兵士の所持するライフルの状態から、このときキャパが写した写真は実戦ではなく、演習中のものであることが判明します。此処で話は終わるはずでしたが、「崩れ落ちる兵士」の直前に写されたのではないかと思われる、件の兵士の前を走る別の兵士の写真が見つかり、2枚の写真を合わせてCGで再現することにより、現場の状況を解明してゆきます。2枚の写真には微妙な角度のずれがあり、これを推定します。2枚目の写真には第三の兵士の銃口がわずかに写っており、この兵士が画面から過ぎ去る時間を導き出してゆきます。兵士の身長を165cm、走る速さを秒速4m、兵士までの距離を5mとすると、走る兵士の写真を撮影した場所から1.2m離れたところで、0.86秒後に2枚目の写真が撮影され、この2枚目の写真が「崩れ落ちる兵士」で有ると特定してゆきます。フイルム手巻きのカメラでは、0.86秒で1.2m移動し、撮影することは困難であり、この2枚は、同一のカメラマンが撮影したものとは思われず、キャパ以外にもう一人のカメラマンがいたのではないかと思われたわけです。
キャパは、このとき恋人のゲルダ・タローと行動を共にしていました。ゲルダはキャパと同じユダヤ人であり、パリで知り合い、反ファシズムの立場でキャパと共に行動をしていました。キャパはライカⅢで撮影していましたが、ゲルダはローライフレックスで撮影しており、ネガがあればゲルダは1:1、キャパは3:2とフォーマットの違いからどちらが撮影したものかがわかります。しかし「崩れ落ちる兵士」はネガが失われており、はっきりしたことはいえません。そこで、もっともオリジナルプリントに近いとされるニューヨーク近代美術館に所蔵されるプリントから、それぞれの画角に基づいて撮影が可能であったのかどうかを推定しています。それによれば、ローライの6x6の画面ならば、「崩れ落ちる兵士」を大きく上回る範囲が撮影できることがわかりました。しかしキャパの持つライカの画角では、問題のプリントの上辺がわずかに足りません。足りない領域は5%ほど。沢木氏はこの5%とと言う数字は決定的なものであり、「崩れ落ちる兵士」キャパの隣にいたゲルダが、演習中に滑って転んだ兵士を撮影したものであると結論づけます。
すばらしい推理であると共に、NHKのCGがすごいですね。このCGによる分析はすごいと思いました。NHKで無ければ作れない番組だと思います。しかしながら、私はこの推理に疑問を持たざるを得ません。それについて、これからお話ししてゆきたいと思います。
まず、撮影場所の特定、および撮影時に戦闘はなく、その場所で撮影された写真は演習中の写真であるということは、かなり確実性が高いと思われます。
しかし、だから問題の兵士は撃たれて崩れ落ちるところではなく、滑って転んだところだ、と言う推定には疑問を感じます。
疑問その1 そもそも滑る場所と思えない。
上記リンクに掲載されている写真でもおわかりになると思いますが、問題の場所は草地です。短く刈り取られた後の枯れた草地のようです。草というのはしっかり根を張っているものであり、簡単にとれるものではありません。兵士が転んだとして、転び方には二通り有ります。走っているときにつま先で蹴躓く場合、前のめりに転びます。走るという前進方向の力に対して、つま先が止まってしまいますが、上半身は前進の慣性力が働くため、前にのめります。電車が急ブレーキをかけたとき、前に押されるのと同じです。
もう一つは踵から、落ちるのを止める、ブレーキをかけるようにして走り降りる場合に、地面ごと崩れておしりから落ちる場合です。後ろに倒れるとすればこのケースですが、まずこの場所はそのような滑りやすい場所とは思えないわけです。また写真を見ると、崩れ落ちる兵士の両足がそろっていますが、左後方に倒れていますから、左足が滑ったはずです。左足が滑れば、足が前に出ていなくてはなりません。番組の中では、左足が滑ったが、右足が追いついてそろい、次いでしゃがむような形に背を丸め、そこから後ろに反り返るように倒れたとCGを作成していますが、このような倒れ方はきわめて不自然です。
推定の中では兵士の走る速度を秒速4mとしていますが、これは時速14.4kmに相当します。100mを25秒で走るスピードです。スポーツジムなどでランニングマシンを使われている方はおわかりだと思いますが、14.4km/hと言うのは相当に速いスピードです。銃を構えて突撃演習をしているのだとすれば、ほとんど全力疾走のようなイメージでしょう。従って、踵からブレーキをかけながら走っていたとは思われず、滑りにくい場所であろうと言うことを踏まえて考えると、足を滑らせたとは考えにくいわけです。
疑問その2 落ち方が不自然
「崩れ落ちる兵士」を見ますと、後頭部を後ろにして倒れていますが、倒れるとき、人は本能的に頭をかばうものです。後頭部から後ろに倒れると言うことはまず考えられません。柔道の投げ技のように、きわめて短い時間でたたきつけられると受け身がとれず、頭を打って大きな事故を引き起こしたりすることがあります。しかしこの場合、番組中ではキャパが撮影したと推定する走る兵士の後ろに崩れ落ちかかる兵士がいる写真から、ゲルダが撮影したとする「崩れ落ちる兵士」までの時間差を0.86秒としています。1枚目の写真の時にすでに腰を落として背を丸めていましたから、もし足を滑らせたとして、滑ってからその状態になり、0.86秒後に崩れ落ちる兵士の状態になったとするならば、実際には滑ってから転ぶまでに1.5秒はかかっているでしょう。それだけ時間があれば、受け身をとります。本能的に頭を抱えて後頭部を守るはずで、頭から地面に落ちてゆくというのは、大変に考えにくいことです。
疑問その3 本当にゲルダが撮影したものだろうか
番組の中では、ライカのフォーマットではこの画角を納めきれない、5%足りないとしています。しかしゲルダのローライならば、この画面を大きく上回る範囲が写ります。しかし写真を見てください。両足は切れており、ライフルの端も切れています。もしこれを大きく上回るネガが存在していたとすれば、こういうトリミングをするでしょうか。報道写真という特性を考えれば、足やライフルの先は構図に含めてトリミングしたのではないでしょうか。印象的にするためにわざと切った、ことは無いとはいえませんが、報道写真としてはどうでしょう。しかも多数存在するプリントは、皆がこの構図です。余裕を持って撮影されたネガであれば、中には切れないようにプリントされたものが存在しても良さそうに思います。一方で、キャパがライカで撮影したとするには、上辺が5%ほど足りないと言います。しかし、多数の推定による計算です。兵士の身長は165cm。走る速度は秒速4m。兵士までの距離は5m。これらの推定が100%有っているとして、5%足りないと計算していますが、ぴたりと合っているでしょうか。有っているはずはなく、どの推定も、多いか少ないかはわかりませんが、数パーセントは外れているはずであり、とすれば推定画角も違ってくるわけで、5%の差は決定的とはいえないと思います。
疑問その4 沢木氏のシナリオありきの結論ではないのか
1988年に文藝春秋から刊行された「ロバート・キャパ写真集フォトグラフス」と言う本があります。沢木耕太郎氏が訳・解説をしているのですが、この本の中で沢木氏は、キャパの残したもう一つの傑作、ノルマンディー上陸についての逸話を紹介しています。ノルマンディーでもっとも死者の多かった部隊と共に上陸作戦に参加したキャパは、死を恐れぬ撮影で驚くべき写真を写してゆきますが、このネガを受け取ったLIFEのロンドン支社では、現像した助手が興奮のあまりドライヤーの熱を上げてしまい、替えの効かぬネガの大部分をだめにしてしまったというわけです。熱によってぐだぐだになった写真は、しかしその感じは逆に戦場の緊迫感を伝えるものとして「その時キャパの手は震えていた」というキャプションとともに紹介され、キャパの名声をさらに高めることとなりました。ところが番組の中では、沢木氏はこのエピソードをばっさり切り捨て、ノルマンディー上陸について「キャパは命をかけて写真を撮りに行った」といった形で占めています。キャパの2大傑作の一つとされながら、なぜこちらのエピソードはばっさり切ってしまったのか。
おそらくこの話をし始めると、「崩れ落ちる兵士」の話がわき道にそれて話が複雑になり、ぼやけてしまうと考えたのではないでしょうか。すなわち、沢木耕太郎氏の作ったシナリオからずれてしまうからではないか、と言うことは、話全体も、はじめからシナリオありきで作られてはいないのか、そう思えてなりません。
疑問その5 やらせ疑惑はどこへ
先述の写真集の解説の中で、沢木氏は「崩れ落ちる兵士」について「やらせ疑惑」を述べています。しかし番組では「やらせ」と言う部分は削られ、「滑って転んだところだ」と言う線を強くしています。もし「やらせ」であれば、後頭部をのけぞらせて倒れてくれという注文も出来たかもしれません。しかし、実戦ではなかったとはいえ、戦闘を前にした突撃訓練の中、一人だけ「やらせ」で撃たれたふりをしてくれなどと言うことが出来たでしょうか。おそらく沢木氏もそれは無理だろうと考えて、「やらせ」から「滑って転んだ」と方向を変えたのではないかと思われます。
さて、では崩れ落ちる兵士は、どうしたらこのような倒れたかをするのでしょうか。下り斜面ですし、ほぼ全力疾走です。身をかがめながら突進します。その時ライフル弾が頭に当たったらどうでしょうか。体は前に進もうとしていましたが、銃弾が当たったときに足が止まります。しかし体は前に慣性力が働きますので、下り斜面でもあるので斜め下に沈み、一瞬しゃがんだようになり、次いでライフル弾の反動によって後ろに倒れ込むことになります。当時使われていたスパニッシュモーゼルと言うライフルについて詳しいことがわかりませんので推測ですが、ライフル弾の重さを200g。速度を1000km/h程度と推定すると、これは2kgのものが時速100kmで飛んできたのと同じエネルギーですから、頭に当たれば人間を後ろに吹き飛ばすことは可能です。しかしこのとき反乱軍との戦闘はなく、演習中でした。
とすれば、暴発ではなかったのでしょうか。味方なのかどうか、どこかでライフルが暴発し、実際にこの兵士に当たった。キャパ、あるいはゲルダも、演習のつもりで撮影していた。しかし偶然が、崩れ落ちる瞬間を写し止める結果となった。この兵士は実際に撃たれ、死ぬ場面だった。ただ、撃ったのは敵ではなかった。キャパが後になってもこの写真について多くを語ろうとしなかった理由としては、十分だろうと思います。
すばらしい番組でした。沢木氏とNHKには、改めてお礼を言いたいと思います。そしてこれらの疑問を踏まえて、続編を制作して欲しいと思います。人間がどのような場合であればこのような倒れ方をするのか。またLIFEに掲載されたとき、編集者は意図的なトリミングをしたのかなど、70年も前のことですから生きている証人は少ないと思いますが、関係者の中には話を聞いている人もいるのではないでしょうか。謎は深まったと思います。すばらしいことです。
ps
そして、この写真が、キャパが撮影したものであっても、ゲルダが撮影したものであっても、演習中の写真であるとしても、世の中に傑作として伝わってきたことは間違いなく、反ファシズムの中で一定の役割を担っていたことも確かです。でも解像力全盛の世の中、ことあるごとに解像力をアピールするメーカーや、カメラマン・ライター諸氏は言うのでしょう。「だめだよこの写真は、解像して無いじゃないか」と。
pps
皮肉です(笑)